Alternative Design Project

ADP: 一人の力で出来ること

2006年11月21日 21:56 | コメント(0) | トラックバック(0)

今日、自分の師匠の一人に指摘されたこと。「ある社会(またはコミュニティ)のあるべき状態」と「自分がいま可能なこと」が切り分けできていない、そんな感じの内容だ。

それはある事例についての指摘だった。その事例に対して、それが適切な指摘だったかどうかはここでは触れない。ただ、切り分けができていない、自体は正しい指摘である。

つい、一人の力でなんとかなる、と夢見てしまうからだ。ADPなんて、その最たる例だし。他にも腐るほど似たような無理をしてきているし。現在完了進行形だし。

なにかしらで書いてきたと思うが、また説明する。

ここでは、現在が望ましくない状態だとして、人々の行動が変われば、もっとよい状態に移行できるケースに限定して考える(大事な注:よいって何?という問題はおいておく)。

その場合、大多数の「ひとりひとり」にとっては、望ましくない状態が「よくない」とわかっていても、そこに安住するなんらかの理由がある。場合によっては、そもそも「よくない」とすら認識していない。

その状況で、いろいろ理由を並べて行動を変えましょう、と訴えても、よくならないこともある。安住する理由があるからだ。

だから、自分がADPでやってきたことは、「みなさん行動を変えましょう」と直接訴えることではなく、安住する理由、あるべき状態までの障害(「ひとりひとり」にとっては、コスト要因)を、ガシガシ削りとることだった。いまのADP: このサイトについては、それを前面に押し出した形で書いている。

もちろん、人によっては、カリスマや優れた説得力で人々を鼓舞し、望ましくない状態から旅立たせることもできるだろう。人によっては、権力を持ち、人々に命令することが可能で、しかも行動を監視することもできて、罰則も与えることができて、うまく望ましい状態に持っていけるかもしれない。

自分にはその力はないし、鼓舞するキャラでもない。できることは、本当に細かい障害をひとつひとつ取り除くことだ。それで、あるべき状態に行けることが保証されるわけではないのはわかっている。社会(またはコミュニティ)に与えるインパクトなんて、些細なものだということもわかっている。でも、やる意味はあると思っている。

てね、師匠本人には言わないでここに書いてみた。ここを読んでいる可能性は捨てきれないが。

いつになく感情的になってしまってすまぬ。

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